2012年11月29日木曜日

Go to the lion’s den 敵地に乗り込む

昨日の朝、オレンジ支社の食堂でかつての大ボス、ジョエルに出くわしました。彼は10月から北米中西部のトップに栄転し、ひょっこり出会う機会は最近激減していたのです。

「やあシンスケ、元気か?」
にこやかに握手。彼は珍しくネクタイをしています。ボタンダウンのシャツの襟元からTシャツをのぞかせるスタイルが定着していたので、私がからかい気味に、

「あれ?今日はやけにめかしてますね。」
と言うと、

“I’m going to the lion’s den.”
と答えました。

初めて聞く言い回しです。一瞬分かったような気になり、
「それは面白そうですね。」

と反応したのですが、よくよく考えると意味が分かりません。文字通り訳せば「ライオンの洞窟(巣)に行くんだ」ですが、一体ジョエルは何の話をしてるんだ?
そんな私の表情を読み取ったのか、彼がヒントをくれました。

“On the fourth floor.”
「4階のね。」
ああ、なるほど。4階には上級幹部が集う会議室があるのです。つい先日、北米西部のトップに着任したマイクのオフィスもあります。きっとマイクが就任と同時に配下の幹部を招集し、戦略会議を開くのでしょう。内部からの昇進ではないので、彼の仕事の流儀は未知数。どんな厳しい質問を浴びせられるのか分からないので、さすがのジョエルも緊張を滲ませています。

あとで同僚のマシューとエリックに、このフレーズの意味を尋ねてみました。
「おっかないところってことだよ。どんな恐ろしい仕打ちを受けるか予想もつかない場所に行く時に使う言い回しだな。」

とのこと。
今日、サンディエゴの同僚ジムにも聞いてみました。

「たとえばさ、サンディエゴ・チャージャーズのファンがオークランド・レイダーズの(凶暴さで有名な)応援団が密集する席に座る時なんかに使える?」
熱狂的フットボール・ファンのジムはさも感心したように、

「それは素晴らしいたとえだね。どんぴしゃだよ。」
とほめてくれました。そんなわけで、私の和訳はこれ。

“I’m going to the lion’s den.”
「敵地に乗り込むんだよ。」

どうでしょう?

2012年11月26日月曜日

オクラホマミキサー

先日、CBS局の60 Minutes という番組で、ロドリゲス(Rodriguez)というデトロイト生まれのミュージシャンを特集していました。アメリカ国内では究極の「無名シンガー」で、小さなアパートでひっそりと暮らしているのですが、どういうわけか遠く離れた南アフリカ共和国で、国民的スターの扱いを受けているという話題。

70年代に展開した反アパルトヘイト運動と時を同じくして彼が放ったロックソングの数々は、社会の不正に対する抵抗を歌ったものが多く、これが当時の国民の気持ちの高ぶりと激しく共鳴したのだそうです。コンサート中にステージ上で自殺した、という噂まで広く信じられていて、まさにエルビスもビートルズも超えた伝説のスーパースターなのです。
アメリカ人が誰も知らないのに、南アフリカで聞けば百人が百人ロドリゲスを知っているのだと。坂本九の「上を向いて歩こう」がアメリカで「Sukiyaki」として大ヒットした、というのとは訳が違うのです。

さっそく、南アフリカ出身の若き同僚ウェインにこの話題をぶつけてみました。
「ロドリゲスでしょ。もちろん知ってるよ。超有名じゃん。」

「いや、アメリカ人は誰も知らないよ。」
私が番組の内容を解説すると、わざと大げさに反応してるのかと疑うほど激しく動揺するウェイン。

「ええっ?嘘でしょ!アメリカでもスーパースターなんだとばかり思ってた!」
ロドリゲス自身も最近まで自分の人気を知らなかったのだそうで、招待されて南アフリカを訪れたところ、何万という人々に熱狂的な歓迎を受けてびっくり仰天したとのこと。

さて本日、サンクスギビングの連休が明け、4日ぶりに出勤。経理のダイアナが実家のあるオクラホマに帰省してた、というので、
「オクラホマミキサー知ってる?」

と尋ねました。すると、ポカンとした表情で、
「何それ?」

「え?オクラホマミキサー知らないの?フォークダンスだよ。日本の少年少女は全員知ってるよ。」
そんなダンスは聞いたことが無いわ、と首を傾げるダイアナ。調べたところ、原題は「Turkey in the Straw(わらの中の七面鳥)」。オクラホマ州との関係は不明です。こんなタイトルをつけたのは一体誰だ?どこかの体育の先生か?

ダイアナには申し訳ないけど、もともとオクラホマに関しては何の知識も無いので、オクラホマミキサーを消去しちゃったらもう何も話題が見つかりません。会話を早々に打ち切って席に戻る私でした。とにもかくにも、誤解含みとは言え「オクラホマ州は日本で超有名」という印象だけは彼女に伝わったと思います。

2012年11月21日水曜日

I’ll take the heat. お咎めは私が受ける。

ロサンゼルスの大規模プログラム(複数プロジェクトの集合形)が動き始めました。MSA (Master Services Agreement) と呼ばれる基本契約を締結した後、この契約書に基づいて様々な種類のプロジェクトが発注されます。仕事の内容に応じて社内のあらゆる部門から最適なメンバーを抜擢し、最高の成果を最短期間で出して行く、というのが我々マネジメント・チームの任務。最初の三件が、今週まとめて発注されました。

さっそく一昨日、電話会議が開かれます。マネジメント・チームを率いるブレントは、50がらみの日系アメリカ人。お公家さんかと疑いたくなるくらい柔らかな物腰で、生まれてこの方一度も声を荒げたことがないんじゃないか、と思うほど。会議がどんなに紛糾しても、ニコニコ笑って皆の話を聞いています。その暢気さはいささか度を越していて、「あれ?この人、仕切る気全然無いの?」と調子が狂うほど。今回も、会議の前半はほとんど発言しませんでした。
さて、今週発注された最初の三件については、オレンジ支社のヘザーがプロジェクトマネジャーを務めるべきだろう、という意見でまとまりました。プロジェクト・ディレクターには彼女の大ボスのエリックがおさまるのが妥当だね、という話になったのですが、私には懸念がありました。それは、ヘザーもエリックも別部門の人間だ、ということ。

そもそもこの大型プログラムは、私の所属する環境部門が獲得した仕事です。そのトップであるクリスピンを必ず全プロジェクトのディレクターに据えるように、という指示が出ていたのです。さらには、プロジェクト・マネジャーも仕事の内容に関係なくうちの部門の人間を使え、という空気さえありました。最終的な収支の責任はクリスピンが負うことになるのですから、組織的には正しい判断かもしれません。しかし現場の立場で考えれば、不合理この上ない。私がこの件について話したところ、当然ながら不満の声が噴出しました。
「いや、僕の意見じゃないんだよ。ジャックがこないだクリスピンからそういう指示を受けた、と聞いたんだ。それを皆に伝えておきたかったんだよ。」

と私。
「でも、この三件は実質的に私の仕事なのよ。他の誰かにプロジェクトマネジャーを任せるなんて到底考えられないし、エリックと私はこの件についてずっと調整してきたの。」

ヘザーが静かに抵抗します。その時、これまでずっと沈黙していたブレントが口を開きました。
「プロジェクトが最も効率的に進められるようなチーム構成で行こう。プロジェクトマネジャーはヘザー、プロジェクトディレクターはエリックが良いと思う。」

そしてこう付け加えました。
“I’ll take the heat.”

文字通り訳せば、「私がヒート(熱)を受ける。」です。Heat は「批判」という意味にもなります。つまり彼は、「何かあったら自分が批判の矢面に立つから安心しろ」と言いたかったのですね。
I’ll take the heat.
お咎めは私が受ける。
物静かなブレントが、男を上げた瞬間でした。
 

2012年11月17日土曜日

シアワセな生き方

ここのところ、同僚達のイライラが高まっています。十月の組織改変以降、毎月出さなければならないレポートの数が倍増していて、ただでさえ人手が無いのにこれ以上やることを増やしてどうするんだ?俺達を殺す気か?という悲鳴があちこちから聞こえて来ます。私自身、今年は役割が増えて部下も出来、責任がぐっと重くなりました。普通ならここで給料上げてよ、と訴えたいところですが、景気が悪く会社の業績もイマイチなので、賃上げはあまり期待出来ません。これじゃあ実質的に報酬低下じゃないか、と不満が溜まっているのも事実。

そんな時、食堂で若い同僚レイと久しぶりに会いました。
「一ヶ月休みを取って、フィリピンにある嫁さんの実家に行ってたんだ。」

育児休暇と有給休暇をくっつけての長期滞在。一歳になったばかりの息子さんを親戚に披露する、というのが主目的。フィリピンで6年間働いた経験のあるレイは、奥さんの家族以外にも沢山知り合いがいて、大勢と旧交を温めて来たそうです。
「鉄道敷地内で暮らしてる人たちはまだいるの?」

と私。だいぶ以前、マニラを訪ねた際に見た光景がショックだったのです。線路のすぐ脇に廃材で建てた家に住み、近くの電柱から違法に電線を引き込んで暮らしている人たちが何百人もいました。
「うん、相変わらす大勢いるよ。何も変わらないね。今後何十年も、ずっとあんな感じが続くと思うな。」

彼の説明によると、植民地時代の遺産とでもいうべき階級主義が払拭されない限り、あの国は変わらないだろう、とのこと。
「貧乏な家庭に生まれたが最後、まともな教育を受けらず仕事もない、で一生貧乏なままだね。一方、途轍もない金持ちも大勢いるんだよ。嫁さんの親戚にさえ、全く働かず豪邸に住んで、海外旅行ばかりしてる人もいるくらいだからね。そういう特権階級から貧民階級に富を移動するなんて、一大事業だよ。政権が代わったところで望みは薄いね。」

「アメリカの貧富の差とは、程度が違い過ぎるね。少なくともこの国では、這い上がるチャンスは与えられてるもんね。ううむ、問題の根が深くて解決策が思いつかないな。なんか憂鬱になって来たよ。」
レイが笑って私の肩を叩き、

「でもね、ここが大事なところなんだけど。」
と言いました。

「そんな貧しい人たちも、一人ひとり会ってみると、皆すごく幸せそうに暮らしてるんだよ。」
頭をぶん殴られたような衝撃が走りました。

「這い上がるチャンスが無い分、無理もしないでしょ。あくせくせずに、毎日をシアワセに暮らせるってわけだ。フィリピンへ行く度、このことに驚かされるよ。」
とレイ。そうか。頑張って這い上がろうとすればストレスが溜まるもんな。「無理しない」ことが大事なのね。

シアワセって、そういうことだったのか…。

2012年11月15日木曜日

セクハラにならない褒め言葉

Wall Street Journal 紙に、”The New Rules of Flirting” という記事がありました。

このFlirt (フラート)というのは(「う」の口で「あー」と発音するので、「フルート」に近い音です)、異性の気を惹くようなちょっとした言動を指すのですが、この記事によると、使い方を誤るとやっかいな展開になるとのこと。
同僚リチャードは、先日総務のヴィッキーに会った時、

「その服いいね。」
と褒めたそうです。

「彼女、サンキューって笑って立ち去ったんだけど、暫くしてからだんだんドキドキして来てさあ。」
気を惹くために軽口を叩く以外に、こうして服やアクセサリーを褒めたりするのもFlirt の一種なんだそうです。

「下手するとセクハラと取られちゃうからね。誤解されたら困るな、って心配になっちゃったよ。」
昨日の午後、同僚ステヴと、この話題でちょっと盛り上がりました。

「セクハラっていうのはさ、そもそもは上下関係が絡んでたんだよね。」
俺と○○しなければクビにするぞ、っていう極めて直接的な脅しに代表される行為ですね。彼はずっと以前、会社で講習を受けた際、部下が上司にセクハラ行為をするというのは言葉の定義からして有り得ない、と教わったそうです。

「講習が終わった途端、一緒に出席してた上司に皆でよってたかってエロいこと言いまくったよ。その人は皆と仲良しだったから、笑ってたけどね。古き良き時代だな。今じゃそんな真似は自殺行為だよ。最近じゃ上下関係に関わらず、相手が気分を害するような言動は全てセクハラに認定されちゃうからね。」
今の我々の職場は女性が過半数。誰かの服でも褒めようものなら、

「シンスケって私のことジロジロ見てたんだ。いやらしい!」

とか何とか噂を広められ、それが人事の耳に届いて一巻の終わり、てなことになるかもしれません。コワイコワイ。

先日、同僚ディックからこんな話を聞きました。前の会社の同僚(男性)が、ランチタイムに別の男性社員と一緒にレストランへ行ったそうです。その時、綺麗な女性が数人入って来たので、思わず二人でそっちを見たのですが、この場面を同僚の女性が目撃します。
「あの人は、店に入ってきた女性を嫌らしい目で見つめてました。きっと私達女子社員のことも性的な対象としてじろじろ見ているに違いありません。不愉快です。」

と人事部に訴えられ、それが元で彼の社内での評判は地に落ちたそうです。
「それはひどい話だなあ。」

と呆れ顔のステヴ。確かにここまでいくと、「ゾッとする話」ですね。
「でもさ、だからと言ってFlirt を職場から排除しちゃうってのも何だか味気ないよね。」
と私。

「会社にいられなくなるよりはましでしょ。とにかくFlirt は厳禁。これに限る。」
とステヴ。

「じゃあさ、もしもシェリル(ステヴの隣に座ってる仲良しの同僚)が長い髪をばっさり切って来たとするよね。それも無言でやりすごすの?」
「いや、髪切ったね、とは言うよ。友達同士だし。」

「それで、褒めたりしないわけ?」
「もちろん褒めるよ。」

「おいおい、何て言って褒めるんだよ?Flirt 厳禁って言ったばかりじゃん。」
と俄然興味をそそられる私。するとステヴは両手の親指を突き立て(Two thumbs up, すなわち大絶賛のポーズ)、

“Cool!”
と声を張りました。

なぁるほどぉ。「クール!」と一声叫ぶだけならポジティブで爽やかな印象だし、性的な含みなど一切感じられません。
「素晴らしいじゃないか。それなら友達としての親密さもきちんと表現した上で、セクハラの嫌疑もすっきり回避出来る。これからどんどん使わせてもらうよ!」

と感心する私に向かい、親指を二本突き立てたまま「どや顔」で何度も頷くステヴでした。

2012年11月10日土曜日

Can’t get my head around 理解しきれない

最近、若い同僚トリナに付きっ切りでプロジェクト・コントロールの特訓をしています。EAC (Estimate at Completion)、つまり最終予測のコストを求める方法を伝授しようとしているのですが、これが意外な難航。彼女はもともと生物学系の専攻で、数字はあまり得意じゃないみたいなのです。

「例えばさ、今日までにかかったコストが千ドルだったとするでしょ、で、プロジェクトの終了までにいくらかかるか、という話なんだよ。」
「それは当然、まだ使ってない予算の額でしょ。」

「いやいや、そう単純な話じゃないんだよ。」
手を変え品を変え説明を繰り返すのですが、生半可な理解のまま「分かったわ」と先へ進んでしまうので、ミスを繰り返してフラストレーションを溜め、自滅していくトリナ。昨日は彼女の大ボスであるテリーから、

「トリナが財務系の仕事に時間を取られすぎて、本来の仕事が出来ずにいるの。何とかならない?」
と言われました。彼女をトレーニングしようというのはチームの総意で決めたことなのですが、すんなり行かないので皆困っているのですね。

「正直、故意に突き放してる部分はあるんです。少し時間はかかっても、自分でガリガリ計算してミスに気づいたりしないとコンセプトが学べないので。」
と私。

「分かるけど、時間のかかり方が度を越してるのよね。」
テリーがため息をついてこう言いました。

“She still seems to have a hard time getting her head around it.”
要するに「まだ理解しきれていないみたいだ」という発言なのですが、この “Get ones head around” (頭で包む)というのは面白い表現だと思います。似た表現でよく聞くのが、

“I can’t get my arms around it.”
腕で包む、つまり抱きかかえることが出来ない、というのは、対象を完全に把握することが出来ない、という意味ですね。これなら直感的に理解できるのですが、

“I can’t get my head around it.”
はどうか。頭がふにゅ~っとスライム化して箱みたいなものをゆっくりと包んでいく動画を想像してみたのですが、そんなキモチワルイことを言ってるとは思えない。

さっそく同僚ステヴをつかまえて、解説をお願いしました。
「この場合のhead は、脳 (brain) を指してるんだよ。脳で包みきれない、つまり対象が脳より大きいってことなんだな。」

な~るほど。それなら分かる。
「じゃあ、get my arms around との違いは何?」

「ほとんど同じだけど、can’t get my arms around は情報の量が多すぎて手に負えない、という意味合いが強いね。対して、can’t get my head around は、情報の内容が複雑過ぎて理解出来ない、というニュアンスかな。」
「そうか、よく分かった。有難う。」

そうして立ち去りかけてから、ふと気になって尋ねました。
「でもさ、プロのコンサルタントとして、そんなセリフは安易に吐きたくないよね。まるで自分の能力の無さをさらけ出してるみたいじゃない?」

確かにそうだね、と一旦同意してからちょっと考え、ステヴは妥協策を提案してくれました。それがこれ。
“I can’t get my head around it right now.”
「今はちょっと理解仕切れないよ。」

Right now (今すぐ)を付け足すことで、「これからしっかり分析して中身を理解しちゃうよん」という含みを持たせるのですね。勉強になりました!

2012年11月5日月曜日

アメリカ人とリスクマネジメント

先週の水曜日、元大ボスでウィスコンシンン在住のアルが、久しぶりにサンディエゴのオフィスにやってきました。ランチに誘われたので、元ボスのエド、そして私の後任のマリアとで、アラジンという中東系のレストランに行きました。アルはリスクマネジメント部門のシニア・ヴァイス・プレジデント(上席副社長、というところ?)。世界中に散らばる何万というプロジェクトの中から、リスクレベル・トップ40を選んで電話での月例レビューを指揮しています。それは大変な仕事ですね、と感心すると、

「いやあ、僕はただ聞いてるだけだよ。エドやクリスがみ~んなやってくれてるんだ。」
と謙遜するアル。
「他の国のプロジェクトマネジャー達ってどんな感じですか?レビューをうるさがったりしませんか?」と私。はるばるアメリカから何も知らねえ野郎どもが首を突っ込んで来やがって、という抵抗があっても不思議ではないのです。そんな場合はどうやって乗り切るのかな、と興味がありました。

「それがね、皆極めて真面目で紳士的なんだよ。香港も、アフリカも、ヨーロッパも、オーストラリアもね。PM達はきちんとレポートを仕上げて期限までに提出するね。」
「あ、そうなんですか?それは意外だなあ。」

と私。そこへマリアが割り込みます。
「ぶーぶー文句たれてんのは、全員アメリカ人よ。こんなレポートにしこしこデータを記入するために雇われたんじゃねえ、とか何とかね。私もさっきまでそういう輩の一人から電話で愚痴を聞かされてたのよ。」

「アメリカ人って、相手が誰だろうが恐れずに、何でも言いたいことを言うよね。」
と私。

「その通り。」
とアル。

日本で働いてた時、本社がレポートを出せと言っているのに公然と反抗する社員なんて見たことなかったので、アメリカ人の自由さに呆れつつも羨ましがったりしてた私です。しかしこの時まで、世界中でアメリカだけがそういうカルチャーなのかもしれないとは考えてもみませんでした。
食事が済んで、アルは最近読んだ本の話を始めました。アメリカ人の若い登山家が岩に挟まった右手を自分で切り落として生還した、という実話で、「127 Hours」という映画にもなりました。

「彼はさ、自分がいつどの山に登るかという情報を誰にも伝えずに出かけるんだよ。しかも、それが初めてじゃなく、毎回そういうやり方なんだな。そうして自分を追い込んで、ものすごく危ない目に逢っても何とか切り抜ける、というところに興奮を覚えるんだって。」
「その挙句に自分で自分の手を切断しなければならなかった、と。」
と私。

「そんなことがあった後でも、まだ登山を続けているそうだよ。」
とアル。

「学ばないわよねえ。」
とマリア。

「全く理解に苦しむよね。ま、ここにいる我々全員リスクマネジメントに携わっている人間だから、信じがたいのも当たり前だけどな。」
と、アル。

「その登山家、リスク・レジスター(リスクを管理するための表)なんか見向きもしないでしょうね。」
と私。

「絶対ないね。」
と、全員で意見が一致しました。

職場に帰ってからマリアのオフィスに行き、アルの気さくな人柄についてひとしきり話し合いました。
「大体さ、食事に行くのに行きも帰りもアルが運転したでしょ。あんなこと、日本では有りえないよ。」

と私。副社長から食事に誘われるだけでも緊張するのに、下っ端を乗せて運転してくれちゃうなんて…。
「え?どうして?」

と不思議がるマリア。今度はこちらが仰天しました。
「だって日本じゃ、車に乗る時、誰がどの席に座るかまで気を遣わなきゃならないんだよ。」

「え~?全然理解できない!」
ま、マリアには永遠に理解出来ないでしょう。よくよく考えると、権威に怯むことなく誰とでも対等に話が出来るこういうカルチャーがあるからこそ、無謀な登山家や文句たれのプロジェクトマネジャーの存在が許されるんだと思います。だからこそ、組織を挙げたリスクマネジメントの執行が必要になるんだなあ、と初めて実感したのでした。